目的に応じたエイベックスの使い分けを!
買い物時間節約論者たちは、誤解している。
現在のところ、買い物時間節約説を実践して成功している通信販売は、企業を対象としてビジネス文具(消耗品)を翌日配達する『アスクル』とか、主にお年寄りを対象とした食材を定期配達する『タイへイ』くらいではなかろうか。
私には通信販売というよりも配送システムの進化した業態のように感じられるのだけど。
考えてみると、この通信販売時間節約説はずいぶん罪つくりな説だった。
「通信販売の本質は時間節約だから街でも入手できる商品だって売れるんだ」とカン違いしたいくつもの大企業が、バブル期の多角経営ブームにあと押しされて大量生産晶のカタログ販売にのり出してきたけれど、みんな大赤字をつくってあわてて撤退していったものね。
明治期カタログの商品といえば荷では入手しにくい舶来品だった。
私が七〇年代に新聞広告でヒットさせた『ルームランナー』は私のつくったオンリーワン商品だった。
現在形で言うと、通販業界の売上げ上位企業は化粧品と健康食品の企業に占められているが、それらの商品もまたオリジナルブランド化されることで、街では入手しにくいイメージに仕立てられている。
むろん、「入手しにくい」は価格設定やブランド価値からつくられるだけではない。
地域性によってもつくられる。
突然佃煮の話になって恐縮だけれど、私の家では戦前から佃煮といえば浅草橋の鮒佐だった。
いまも私は鮒佐の佃煮しか買わないのだが、そのパッケージには明治時代からの包装紙が使われていて、こう記してある。
「弊店濁特ノ煮方ヲ以テ精製仕候へバ永ク日数ヲ保チ殊こ極暑遠国へノ御土産こ被遊候共決シテ味ノ欒スル等ノコトハ1切無之候。
近頃董滞朝鮮及中園等ヨリ陸繚御証文有之候ハ右ヲ証明スル所こ御座候。
市内御一報次第多少二不拘御届可申。」
「地方ハ為替ヲ以テ御証文有之候街」でも売っているけれど販売店が極端に少ない少量生産品であれば、全国的には「街では入手しにくい」になる。
いま、インターネットで大流行している専門店直送、産地直送の通信販は売れないのだ。
八〇年代の服カタログは服の量販店考えてみれば、「都市から地方へ」の構造で急成長していったアメリカのカタログ販売もまた、「(地方の)店では入手しにくい商品」ゆえに急成長できたのだった。
二〇世紀初頭のアメリカでは、都市の大量生産晶も地方の消費者にとっては「入手しにくい商品」だったからだ。
『シアーズ』が廃刊した93年に、ポール・グレイという人は『シアーズ』の黎明期をふり返って次のように総括している。
カタログは農村のかなたに見える世界であり、都会との交差点であり、彼方の地平線であった。
この形態はマスメディアによる娯楽の提供の初期型であったと考えられる。
それは都会で働く人々の最新の服装、最新の台所用品、都会の女性が身につける下着などを体験できるブックであった。
女性の下着を紹介する絵は商品であることを超えて、多くの人々が初めて目にするエロスであった。
それは少年少女に大人が買い物をする店では何が売られているかを教えるカタログだった。
時代は流れて戦後の五〇年代、アメリカは人類史上初の大量消費社会を迎える。
消費社会を言い換えれば全国規模の都市化現象だから、地方の消費者にとってもはや都市型の商品はどこにいても「入手しやすい商品」(大量生産品)になった時代が大量消費社会だ。
当然、『シアーズ』などアメリカのカタログ群は、五〇年代から価格訴求による「街では入手しにくい価格」路線、つまりカタログの量販店化路線を強めていくことになる。
しかし、量販店はなにもカタログの専売特許ではない。
飽食してうたた寝しかけている欲望を刺激するのに価格訴求は有効な手段だから、その後、街にも量販店はぞくぞくと現れてくることになる。
都会人はどんどん数を増やしていくディスカウント・ショッピングセンター(ウォルマート、はじめた。
カタログ販売は89年以降、収益を計上できず、92年には1億7500万ドルの赤字を計上した。
これが、つい最近の七〇年代まで隆盛を誇っていた販売方法の悲しい結末である。
だった。
『シアーズ』の低価格商品が「街でも容易に入手できる商品」になってしまったということだった。
需要の多い商品に、街のお店もカタログもない。
したがって、需要の多い商品(大量生産品)をカタログで売ろうと思えばどうしても衝のお店とバッティングしてしまう。
そのバッティングを避ける工夫が価格訴求だったが、価格訴求でもバッティングしてしまったのが八〇年代のアメリカ小売事情だったわけだ。
しかし、八〇年代のわが国ではまだまだ街には服の量販店が普及していなかったから、カタログにおける低価格化は有効な差異になっていた。
いや、八〇年代における服の量販店がまさにカタログだったわけだ。
身もふたもない言い方になってしまうが、わが国のゼネラルカタログは、当時量販店の旗手になっていたアメリカのゼネラルカタログをお手本にして成長してきたのだった。
低価格は大量仕入大量販売で決定されるから、せっせと店数を増やして全国展開をはかるのが量販店。
その全国展開をやすやすと実現できるのがカタログだった。
カタログというお店は印刷物だから、リストさえ集まればいくらでも開店(増刷)できる。
そして八〇年代は、服の情報を欲しがるリストならいくらでも集められる幸せな時代だった。
九〇年代に入ると、わが国にもユニクロを筆頭に服の量販店が出現してくる。
この先、わが国量販店世界におけるカタログ対店舗のバトルはどのように展開していくのだろうね。
他人事ながら気にかかる。
民主主義社会が通信販売を支える言い忘れていることがあった。
わが国に通信販売を定着させた社会的特性には、情報化社会と消費社会の他にもう1つあった。
民主主義社会。
松本清張原作の映画『張込み』(57年)にこんなシーンがあった。
清水将夫(夫)は出勤する寸前にその日の分の食費を高峰秀子(妻)に渡す。
張り込んでいる刑事たちは、毎朝そのシーンを覗き見させられて、次第に秀子に同情をよせていく。
観客の私も憤慨して同情をよせた。
清水将夫は戯画ではなくて当時の現実だったからだ。
消費者を支出権所有者と解釈すれば、五出たくても働き口がなかった。
民主主義を小売の立場から解釈すると、男と同格の経済力を女が所有する社会、男社会が独占してきた家計の支出権を女が奪回した社会になるのだけれど、池田勇人の高度成長はそんな民主主義づくりにかなり貢献したと思う。
女性が消費者の主役になっていくのは六〇年代以降である。
女性が消費者の主役である社会でなければ通信販売は成立しない。
明治時代のカタログの対象は家父長だった。
家父長が消費者の主役ではとても通信販売という日常の買い物は認知されない道理だった。
家父長がカタログ利用者だったから、洋服もまた燕尾服、半礼服、礼服、背広服、外套、ワイシャツと男性物ばかりだったわけだ。
川本三郎さんの『林芙美子の昭和』(新書館・03年刊)を読んでいたら、明治36年生まれの芙美子が生まれて初めて洋服を買ったのは昭和5年のことだったと書いてあった。
男尊女卑の時代が長かったせいで、女性における衣服の近代化はずいぶん遅れていたんだね。
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